歌手・ミュージシャン

さようならムッシュ、かまやつさん死去

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ニットキャップに長髪姿、いつも明るくひょうひょうとしたキャラクターのムッシュかまやつさんが1日午後6時5分、膵臓癌のため入院していた都内の病院で死去しました。

 

日本の音楽シーンを大きくリードし、最後までミュージシャンとしてステージに立ち最後までファンを楽しませてくれたかまやつさんに多大な感謝と敬意を込めて彼の人生を綴りたいと思います。

 

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ジャズに囲まれた音楽一家に生まれる

 

本名は釜萢 弘(かまやつひろし)。

1939年1月12日生まれ。

東京都出身。

血液型はB型。

父はジャズシンガーのティーブ釜萢さん。

 

アメリカ生まれで日本に初めてジャズを紹介した日本ジャズ界では草分け的な存在のジャズシンガーでした。母方の叔母にジャズシンガーの浅田陽子さん、義理の叔父にジャズトランペッターの森山久さん、従妹に歌手の森山良子さん、シンガーソングライターの森山直太朗さんは従甥という物凄い音楽家系です。

 

かまやつさんの長男のTAROかまやつさんもまたミュージシャンをしています。

 

かまやつさん自身も勿論素晴らしいミュージシャンであり、日本のロックシーンの草分け的な存在であった事は彼の多大な功績と多くの後輩ミュージシャンとの交流が証明しています。


 

活動の歴史


父の影響で幼少期から音楽に親しみ音楽を愛していたかまやつさん。

 

最初はカントリー&ウエスタン歌手として青山学院高等部時代にデビューしました。

 

ロカビリーや歌謡曲もこなす等、いきなり持ち合わせていた才能を発揮します。

 

音楽活動の傍らで東宝映画等にも出演していたというから驚きました。

 

そしてグループサウンズの全盛期にあの伝説のグループ「ザ・スパイダース」の正式メンバーとしてボーカルとギターを担当します。

 

デビュー曲の「フリフリ」や代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」等はかまやつさんが作曲を担当しました。

 

ドラムキットの音が右に振られている等、現代の音楽の手法とは異なる点もありますが、アナログ特有の温かい音とスパイダースの音楽はとてもよくマッチして今聴いてもどれも名曲だと感じます。

 


ソロ活動は1970年から本格的に開始し、2月に初の本格的なソロアルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」を発売しました。

 

このアルバムは当時まだ世界的にも珍しかった一人多重録音で制作され、現代音楽の手法の礎を築きました。

 

また、音楽的にも様々なジャンルを融合させていて、とても実験的でとても歴史的なアルバムになりました。

 

以降はフォークシンガーとして代表曲「我が良き友よ」「シンシア」等もリリースするだけでなく、テレビドラマ「時間ですよ」等の映像作品にも多数出演しています。


 

晩年の活動


晩年は若手のミュージシャンとの共演を積極的に取り入れていたかまやつさん。

 

松任谷由実、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、等の世代やジャンル関係なく多くの日本人ミュージシャン達から大きな尊敬を受けていました。

 

また、2009年2月にはアニバーサリー・アルバム「1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を発表、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、良子親子などの超豪華なゲストミュージシャンとのコラボレートが大きく話題になりました。

 

2013年以降はRIZEのKenKen、山岸竜之介とのユニット「LIFE IS GROOVE」として活動、世代を超えたメンバー編成と高い演奏力で様々なライブに出演してはファンを大きく魅了しました。

 

最後までミュージシャンとして人生を全うしたかまやつさん。天国でも偉大なミュージシャン達と音楽を楽しんで欲しいと切に願います。

 

 

 

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